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この世界は連続的なのか離散的なのか 

ラプラスの悪魔は既に否定されているらしい。カオスがどーだとか、量子論がどーだとかで。それについて、最近思い至ったことがある。何の証明も根拠もない、自分の感覚だけに則った話。

昔から(というか現在も)、「世界は連続的なのか離散的なのか」ということが自分の中での一大テーマだった。子どもだって、それが何から出来ているのかということには興味を持つ。そして、それがAという物質でできていることを知ったら、今度はそのAが何からできているのかを知りたくなる。現代の科学では、すでに分子やら原子よりもどんどんミクロな世界に分け入っていき、素粒子だとかヒモがどうだとか言ってるみたいだ。

粒子ってのは、どんなに小さくとも、粒であるといっている以上、きっと離散的な、カウンタブルな存在なのだろう。また、人間というのは60兆個の細胞からできているらしい。細胞というのがいくつの粒子的な何かからできているのかは知らないけれど、それは離散的であり、有限なはずだ。「世界は分けても分からない」じゃないけれど、もしも世界を分けたら分かれるのであれば、それは全て0と1で表記できるはずだ。

円周率πは世界の全ての情報を内包しているなんて話があったけど、離散的で有限な情報ならば、論理的には全てを書き漏らすことなく完全にデータ化できるはずだ。

だけど。

それはやっぱり、直感に反する。ただの感傷かも知れないけど、世界は厳然とした連続性を持って存在しているように感じられる。世界の全てをデータに書き起こすなんて、絶対に無理だという気がするし、出来て欲しくない。そういう意味では、世界が離散的であるならば、そんな世界に意味はないとすら感じていた。

そんなことを思いながら、「メタマス!―オメガをめぐる数学の冒険」を読もうとして挫折しながら、日々を生きていた訳だけど、最近友人とラプラスの悪魔の話をした。そこからいつも通りフワフワといろんなことを考えてた。

不確定性原理は「ミクロな世界では粒子は確率的に存在(分布)しているのであって、その位置と運動量を正確に知ることはできない」というようなことが証明されている、らしい。(個人的解釈なので全然違うかも)


>>粒子は確率分布している
>>粒子は確率分布している
>>粒子は確率分布している


あれ…ちょっと待てよ、と。それってつまり、「世界が連続的である」ということと同値なんじゃねーの!?と、閃いた気がした。気がしたけれど、うまく言語化できない。

確率的に存在しているといっても、2項分布じゃあるまいし、きっと離散分布じゃあるまい。それは連続分布になってるはずでしょう。

…ということは、つまりどういうことだ?

と思って、ググってたら哲学的な何か、あと科学とかというサイトを見つけた。うんうん、だいたいそんな感じだよね。面白いなこのサイト。

ここを読む限りでは、やっぱりこれを以て、「世界は連続的なのか離散的なのか」という問いについては、とりあえず前者を解として良いんじゃないでしょうかね。かなりすっきりした。良かった、世界が連続的で。おかげで今日も僕らが生きていく意味が、今という時間を積分し続ける意味が、きちんとあるようです。
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