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プリンシプルのない日本 / 白洲次郎 


プリンシプルのない日本 (新潮文庫)プリンシプルのない日本 (新潮文庫)
(2006/05)
白洲 次郎

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「全然大丈夫」という言葉遣いが、取り沙汰されて久しいが、少し前にこの本を読んだ際に印象に残った、コトバに関するトピックが二つある。

一つは、所謂「全然+肯定」という表現を、白洲次郎もサラっと使っていたこと。まぁ、これはどうでもいい話。

もう一つは、日本国憲法第一条で天皇を規定している「象徴」というコトバは、GHQが渡してきた原稿での「symbol」を白洲次郎が辞書に沿って訳したものであるということ。彼は「象徴天皇とは何ぞや論争」もナンセンスだと一蹴している。であれば確かに、その議論に結論を提出できるのは当時のGHQだけだw

メディアでの天皇論においてこのことは寡聞にして聞いたことがなかった。そりゃそうだ。殆ど白洲次郎の個人的な思い出なのだからw。「現行憲法は海外産のものの単なる和訳にすぎない」ということを再認識し、目から鱗が落ちる思いだった。

日本人は、日本を、日本人を自ら定義したことがあるのだろうか。「日本」という概念は、どこに立脚したものなのだろうか。そんなことを考えてしまう。

この人のすごいところは、開戦・敗戦とその後の食糧難を見越して開戦前から疎開して畑を耕してたとか、「戦後」日本を支えて現行憲法立案にも関わったとか、そんな表層的なことではなく、当たり前なこと(道理、道義に適ったこと)に、当たり前に気付き、それをさも当たり前に発信していた(しかもあの時代に)ということだと感じた。それは今流行の、「正義」や「政治哲学」の話でもある。学ぶことが多いの一冊だった。

この人が今の日本を見たら、何と言うだろう。50年経った今尚、この国にプリンシプルらしきものは見当たらないけれど、今後日本がそれを獲得する日は訪れるのでしょうか。それにしても表紙の写真の瞳がとても澄んでいる。こういう瞳をクモリナキマナコというのだろう。

社会や国家を考えるときに、歴史というものがどれだけ重要ということをこの歳になって気付き、自らの不勉強を後悔する。


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第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

Article 1. The Emperor shall be the symbol of the State and of the unity of the people, deriving his position from the will of the people with whom resides sovereign power.
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