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動物化するポストモダン / 東浩紀 


動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)
(2001/11/20)
東 浩紀

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ついに読んだ東浩紀。この本はいろんなところで絶賛する評価を耳にしていたので、満を持して読み始めた。

所謂オタク文化とは何なのかということを現代思想の観点から分析し、そこから出てくる「動物化したポストモダン」がオタク文脈だけでなく日本社会にも敷衍して云える概念であることを主張する。非常に刺激的で面白すぎる内容であり、ここまで内奥に響き、ワクワクする読書体験は久し振りだった。なぜ「萌え」は売れるのかという疑問にも、一定の解を与えてくれる。社会を、「我々」を、理解することの快感に浸ることが出来る。世のなべてのオタクは必読。

初めは意味が分からないタイトル。それが、現代思想初心者でも読み進めるうちにも鮮やかに見えてくるようになる。この構成力と文章力はなかなか凄い気がするけど、これもまたオタクが読み易い文章性向なだけなのかもしれない。


まず始めに「シミュラークルの増殖」というのが大きなキーポイントになっている。シミュラークルとは、二次創作の氾濫(というか二次創作が作られることまでをも前提とした文化活動)に見られるようなオリジナルとコピーの壁が融解したような形態のこと。

更に、70年代における「大きな物語の凋落」と80年代における「物語の捏造」を経て訪れた、90年代以降のデータベース消費の時代。それは大きな物語の捏造すら放棄し、萌え要素のデータベースさえ用意されれば、プロもアマも、シミュラークルを自由に無限に創り出すことができる時代である。

関連して、村上隆の芸術に対してオタクが感じる齟齬に関する指摘も印象的だった。曰く、いくらオタク的な意匠を借りてきたとしても、データベースの水準がないかぎりにおいて本質的にオタク的なものではない(p94)。これはある意味で、リア充(orにわかオタク)がアニメなどを語るときに真の(?)オタクが嫌悪感を感じるのと同じ構造であり、オタク文化の本質はデータベース化された(広い意味での)萌え要素にあるということが分かる。悲しいことに、ライトノベルやノベルゲームなどのオタク系コンテンツに良質な脚本を求めるのが既に間違っているということだ。

そして、動物化するポストモダンの人間たち。動物の欲求は他者なしに満たされるが、人間の欲望は本質的に他者を必要とする(p127)という観点に基いた分析が提示される。マニュアル化され、流通管理が行き届いた現在の消費社会においては、消費者のニーズは、できるだけ他者の介在なしに、瞬時に機械的に満たす(p127)ことができてしまい、オタクたちの消費行動も感情的な満足をもっとも効率よく達成してくれる萌え要素の方程式を求めて(p128)きわめて動物的に変容してしまったのである。そのフェティッシュに耽溺する様子は薬物依存に似たものであるとまで言っている。

動物とは違う人間としての文明を発展させ、社会が高度に情報化・システム化され、面倒を伴う対人関係が排除された先に行き着いたのが、「動物的」な21世紀人類の姿であるというのは、皮肉が効いているなあ。


本書のラストで、ハイカルチャーだサブカルチャーだ(中略)といった区別なしに、自由に分析し、自由に批評できるような時代を作る(p174)、というこの本のモチベーションが述べられている。これは常々感じていたことであり、こういう言説がもっと増えれば楽しいと思う。オタクたちは、自己も社会も優れた客観性を以て観察しているのだ。コンテンツ産業についても少し思った。社会構造が「オリジナル対コピーからデータベース対シミュラークルへ」なのであれば、そして法律が社会的合意なのであれば、やはり著作権などの概念は根本から考え直す必要性があるのではないだろうか。



※どうでも良い(かどうかは分からない)が、『AIR』と『YU-NO』を未プレイで、且つ今後プレイするつもりのある人はネタバレに注意されたしw
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