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何かのために sengoku38の告白 / 一色正春 


何かのために sengoku38の告白何かのために sengoku38の告白
(2011/02/18)
一色正春

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2010年9月7日、尖閣諸島付近で中国漁船が日本の海上保安庁の巡視船に体当たりする事件が発生した。その後、事件の記録映像を公開する/しないで揉めに揉めていた中、11月4日に体当たりの瞬間を記録した映像がYouTubeに公開されて日本は大騒ぎになった。…そういえばそんなこともあったね、と既に過去の事件として懐かしんでいるとしたら、それは態度を改めなければならない。命を賭けて日本の海の安全を守ってくれていた人物が、改めてその人生を賭して日本国民全員に問いかけているのである。その想いを、決して無駄にしてはいけないと思う。

本書はタイトルの通り、尖閣ビデオ「流出」事件の「犯人」である一色正春氏(=sengoku38)の告白本である。安全保障の最前線に立ち、外交問題の渦中の人となった元海上保安官の、憂国のエッセイ。公開に至る伏線となる出来事や、公開前夜の気持ち、公開後に受けた扱いなどについて、詳細に語られている。この事件の「犯人」は、決して頭のおかしい愉快犯ではないし、ましてやクーデターや政権転覆を目論む「危険人物」でもなかったのだ。日本という国を憂う、いち国家公務員だったのである。著者は、曖昧な感情や一時の衝動で例の映像を公開したわけではない。熟慮を重ね、葛藤の末に映像を公開し、公開の前も後も、自分の行いについて自問し続けている。公開に至るまでの心境や、機密にはあたらないとの冷静な分析も、理路整然と自分の言葉で告白されている。

映像を公開した動機を簡単にいえば、政府の迷走振りを見ていられず、私が、やらねば、このまま日本はダメになってしまう(p105)と強く思ったからだという。確かに客観的にみて、映像を公開すべきだったし、世論もそれが大勢を占めていたように思う。日本が映像を公開しない理由はどこにもなかった。しかし頑として公開しない日本政府に、それを見て付け上がる中国政府を見て、完全に個人の判断で著者は公開に踏み切った。自分や家族や友人や職場の人たちの安寧と天秤にかけて、それでも「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない」という公務員の本懐を果たすべく、私たちのために覚悟を決めてくれたという。公開に至る過程も計画的で、著者が非常にクレバーでスマートな人物であることが伺える。

著者は、映像を見た見本国民一人一人に、ただ考えて欲しかっただけなのだ。著者は再三、問い掛けている。
なぜ、尖閣諸島は日本の領土なのか。
なぜ、領土を守らなければならないのか。
なぜ、中国や台湾は、尖閣の領有権を主張しているのか。
なぜ、最近になって中国漁船が大挙して尖閣諸島付近に現れるのか。
なぜ、中国漁船が海上保安庁の巡視船に体当たりしたのか。
なぜ、中国はあれほどまでに中国人船長の釈放を要求したのか。
なぜ、日本政府は中国人船長を釈放したのか。
なぜ、ビデオを非公開としたのか。
なぜ、残りのビデオが公開されないのか。
(p170)

答えが未だに判然としない問いも多く、いくら忘れやすい日本人、怒りを忘れた日本人であっても、事件を風化させるにはまだ早すぎる。本書の内容は、本にして出版するのと同時に、ネット上などでもぜひ無料公開して欲しいと、勝手ながら思った。一色さんは雑誌などで文章を書いたりしているようだけど、ネットも上手く使って言論活動をしてほしいなあ。基本的にネット上では、荒唐無稽な言論は淘汰され、真っ当なことを言い続けていれば支持を得られるのだから。でも安易なことするとチープな右翼活動家みたいになっちゃうかなあw

また、映像が全て公開されるべきだという前提に立てば、日本中が振り回されたのは著者の責任ではない。最初から政府が適切な情報公開をしていればこんなことにはならなかったわけで、責任と原因を混同して語ってはいけない。これは今をときめく「風評被害」についても同じことが云える。こと放射能汚染の「風評被害」に限っては、適切な情報公開が為されないことに問題があるのであって、福島産の野菜を食べないという選択は自己防衛でしかないと思う。政府がきちんと管理して「市場に出回っている食料は安全である」と自信を持って宣言して、国民がそれを信じられる関係性があれば、食品に関する風評被害は基本的にはなくなる、はず。福島産食品フェアを開催して無理矢理買わせる前にやれることがあったのはないか。

勝谷誠彦は流出ではなく愛国的公開であり、犯罪ではなく義挙であると、「流出」当時から言い続けていた。結果的にだが、その見立ては正しかった。帯でも引用されているが、私がやったことに対して、立派だとか、義挙だとか言う人がいるが、私はそうは思わない。日本国民として、ただ当たり前のことをやっただけのつもりである(p213)とある。「当たり前のこと」が義挙として持ち上げられてしまうほど、今の日本では「当たり前のこと」が当たり前に為されていないということを示しているように思う。これが如何に危機的な状況なのかを、我々はもっと実感しなければならない。

本書を読むと、政府の怪しさやマスメディアの欺瞞も当事者の目線からよく見える。この尖閣ビデオ「流出」事件が何となく忘れられようとしているころに、東日本大震災があった。原発事故後の政府・マスメディアの対応にも、同じようなことがないだろうか。原子炉への注水中断命令に所長が「違反」して注水を続けていたという報道もある。もう、マスメディアを通しての情報では何が真で何が偽なのか分からない。原発事業に直接的に関わることのできない我々にできるのは、知ろうとすることと考えることの2つしかない。言うは易しだが、思考停止にならずに、それぞれが考えることを続けなければならないと、改めて思った。
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