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終わりなき日常を生きろ / 宮台真司 


終わりなき日常を生きろ―オウム完全克服マニュアル (ちくま文庫)終わりなき日常を生きろ―オウム完全克服マニュアル (ちくま文庫)
(1998/03)
宮台 真司

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宮崎哲弥を眺めていても、東浩紀を読んでも、現代社会・現代思想的な部分を知ろうとするとどうしても登場する。ので、初・宮台。しかしこの人、しゃべり方とか、人間としてはなんとなく好きになれない雰囲気があるw

あとがきで、著者の社会哲学(?)を熱く語っている部分がある。曰く、"戦争が「一般に」悪であるわけでも、売春が「一般に」悪であるわけでも、宗教が「一般に」危険であるわけでもない。戦争が悪であるような条件、売春が悪であるような条件、宗教が危険であるような条件があるに過ぎない。(中略)したがって、私たちにとって必要となるのは、戦争についても、売春についても、宗教についても、徹底した「条件分析」であり、「文脈分析」である(p188-189)"。複雑化した現代社会ではその分析に非常にコストがかかるが、それでも尚、そんな社会を生き延びるためにはそうして得た(ケースバイケースで相対的な)評価が必要だと。

社会学も現代思想も素人なので、言ってることの是非は、実際のところ判断できない。しかし、この部分を読んだだけでも、この人の話は信頼に足ると思った。専門家に人生の参考意見を求めるなら、そのスタンスで見極めるしかないと常々思うけど、こういう骨の髄が「学者」な人は、好きだ。武田邦彦然り。



内容としては、オウムを通して見る(15年前の)現代社会。キーワードは「さまよえる良心」と「終わりなき日常」。

まず、一連のオウム騒動についてあまりに無知だった。中沢新一や島田裕巳がオウムを礼賛していたこともよく知らない。阪神淡路大震災と同じ年の事件だったことも、憶えていなかった。なので、オウムの詳細に踏み込んだ内容については、実感としてはあまり分かっていない気がする。けれど、「オウムとは何だったのか」という分析を通して日本社会を説いたエッセンスが重要なわけで、非常に面白く読むことが出来た。

共同体のまなざしによって自らを持する「外的確かさ」が「道徳」で、神のまなざしを前にした「内的確かさ」が「倫理」。「良心」はこの排他的な二つの類型に分割できる。そして日本の社会には伝統的に「倫理」はなく「道徳」によって支えられてきた。しかし日本人は、高度経済成長期に家族すらも個室化する状況で「道徳」からも解き放たれて「自由」になってしまった。かくして、「倫理なき社会」で「道徳の母体」が消失するとき、「私たちが良心的たりうるのはいかにしてか」という問題だけが残った。(p65-68)

そういう風にして、良心とは何ぞやと自問してしまう「良心的な人」こそが、神秘体験というフックに引っ掛かって、例えばオウムのような社会に絡め取られてしまった。

そしてまた、我々は、ハルマゲドンによる救済は訪れないことに気付いてしまった。甘受せざるをえない「終わらない日常」に耐えられるかどうかが、今の社会を生きていけるかどうかの分水嶺である。「終わらない日常」に高度に適応進化し、まったり生きる「ブルセラ少女」たち。この辺りの展開は、正に宮台真司。そういう変化に女子より男子の方が10年遅れているということも指摘されているが、実は2ちゃんねるの匿名精神にも、共通する部分があるように感じた。

マスメディア的な言説は、2ちゃんねらーが匿名で発言することを卑怯だと論う。内田樹を読んでより明確になった部分だが、しかし実際にもっと問題のは、この名無しの人々はアイデンティティの融解という恐るべき事態に自覚的でありながら、それでも良いと思っているのではないかということだ、と思っていた。しかしこのアイデンティティの融解こそが「まったり生きる」のキモであるようなことを言っている。即ち、"都市の風景のなかに一片の記号として溶け込み、「ユミとユカの区別がつかな」くても気にしない生き方(p168)"。これはハルマゲドンも輝かしい未来も必要としない、「終わりなき日常」を生き抜く上での叡智にだったという。これには刮目させられたというか、これを危機的に感じていた自分も、意外に保守的だったことに気付かされた。



・「核戦争後の共同性」と震災ボランティア(p95)
奇しくも素敵なタイミングで読めた。これは自分でも思っていたが、確かにボランティア精神に目覚めたというのなら、震災ボランティアが終わってからも、地元で何らかの活動を続ければ良いのだ。しかし、多くの学生はそうでないし、自分にしてみたって、帰ってきてから震災と関係ないボランティアをやるかと言ったら、やらないだろう。単純に被害が大きくて多いからボランティアに対するモチベーションが上がるという側面もあるだろうが、少なくとも自分に関しては、正に東北の廃墟に、核戦争後の共同性を見ている。これはすごーーく実感する。

・コミュニケーション負荷が個人にかかる時代
"僕らは今まで、自分のコミュニケーションの責任を自分で全部背負うなんて考えたこともなかったでしょう。結婚にしろ、仕事にしろ、まわりがやってるようにやれば良かったわけだから。"
えっ なにそれずるい
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