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6枚の壁新聞 石巻日日新聞・東日本大震災後7日間の記録 / 石巻日日新聞社 


6枚の壁新聞 石巻日日新聞・東日本大震災後7日間の記録  角川SSC新書 (角川SSC新書 130)6枚の壁新聞 石巻日日新聞・東日本大震災後7日間の記録 角川SSC新書 (角川SSC新書 130)
(2011/07/09)
石巻日日新聞社

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震災2週間後に、石巻に行った。日和山から石巻市役所、商店街、旧北上川沿いから海岸沿いの全壊地区を歩いた。石巻市民の家や思い出だったものを踏み越え乗り越え、少し高台にある新聞販売所の前でこんなものを見た。3月26日付の石巻日日新聞。発行部数1.4万部(震災前)の地域紙だ。一部もらって目を通すと、行政の動きや復旧支援の様子などの他に、安否確認や医療・銀行・交通などの生活情報についても具体的に載っていた。まさに石巻市民の、石巻市民による、石巻地区のための新聞だった。
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この時点では輪転機も動いていたらしく、A2サイズの紙一枚ではあるが、新聞らしい体裁が整っていた。しかし社屋に電気が復旧するまでの震災後1週間は、手書きの壁新聞を作って避難所などに張り出していたという。その様子は世界的にも話題になり、この7枚の壁新聞はワシントンのジャーナリズム博物館に寄贈されて永久保存されることになったらしい。

この本は、その過酷な1週間の記録である。内容としては社長と記者の手記をまとめたものなので、読み物として面白いわけではない。しかしその報道に対する衝動や使命感は、読む人に様々なことを考えさせてくれる。浮流物に掴まって一晩漂流した記者もいた。間一髪で津波から走って逃げた記者もいた。それでも「今、伝えなければ、地域の新聞社なんか存在する意味がない」(p22)という気持ちで、彼らは自分の家族の安否確認もままならぬまま、取材に奔走したのだ。

地元に生まれて地元で育ち地元を愛する記者たちが、3.11のその後、何を見て何を感じたのか。それが、迷いや葛藤も含めて、この7枚の壁新聞に詰まっている。(壁新聞の写真は巻頭にフルカラーで掲載されている。)


こうして美談として紹介されがちな今回のエピソードではあるが、社長の近江氏は本書の「おわりに」で、岩手県の東海新報は震災後も自家発電機で印刷能力を保っていたことを引き合いに、こう述懐している。
壁新聞は災害に対して準備をしてこなかった末の結果でもあり、経営者としては複雑な心境もあり、未熟さを痛感しています。(p252)
あまり指摘されていないが、確かにそういった側面も大きポイントであったと思う。この客観的で謙虚な姿勢には好感を覚えた。また、もしかしたら壁新聞の内容についても反省の余地があるのかもしれない。しかし、石巻日日新聞の「伝える使命」をまっとうしようとした記者たちの葛藤と壁新聞作りに関わった社員たちの思い(p5)は絶対に本物だったと思うのです。それに感動して、電車の中で涙を堪えるのに苦労したw



そういえば。本書は基本的に時系列に沿った手記であり、「○○に行って××を経由して△△へ向かった」というような内容が多い。前述のように私は現地の地名や街の雰囲気を少し知っているから気にならなかったけれど、馴染みのない人にはイメージが湧きにくいかもしれない。
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